国鉄時代、四国にはヘッドマークを付けたキハ58系急行が走っていました。
撮りたい被写体ではありましたが、列車本数の少ない線区ではやはりクルマ利用が前提になります。しかしながら、まだ瀬戸大橋も・明石海峡大橋もなかった時代は、車であればフェリーに乗船することが必須となるため、今一つ気軽にというわけにもいかず、費用的にもかさむので、四国での撮影は少なめでした。
それでも国鉄末期になってキハ58系急行も先が見えてきたため、何度か出費を覚悟で出かけていました。
秘境駅と言われる土讃線(当時は土讃本線)の坪尻駅俯瞰です。このときはクルマ出かけていますが、山道を下って坪尻駅まで降りても撮影しています。
その写真は キハ58系 急行「あしずり」 ~気動車王国四国のHM付急行~ をご覧ください。
最近は国道付近に、坪尻駅を見下ろせる撮影スポットが整備されたとか。久しぶりに行ってみようかと考えているところです。
1986年6月 坪尻駅
撮りたい被写体ではありましたが、列車本数の少ない線区ではやはりクルマ利用が前提になります。しかしながら、まだ瀬戸大橋も・明石海峡大橋もなかった時代は、車であればフェリーに乗船することが必須となるため、今一つ気軽にというわけにもいかず、費用的にもかさむので、四国での撮影は少なめでした。
それでも国鉄末期になってキハ58系急行も先が見えてきたため、何度か出費を覚悟で出かけていました。
秘境駅と言われる土讃線(当時は土讃本線)の坪尻駅俯瞰です。このときはクルマ出かけていますが、山道を下って坪尻駅まで降りても撮影しています。
その写真は キハ58系 急行「あしずり」 ~気動車王国四国のHM付急行~ をご覧ください。
最近は国道付近に、坪尻駅を見下ろせる撮影スポットが整備されたとか。久しぶりに行ってみようかと考えているところです。
1986年6月 坪尻駅
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