関西発 鉄道ファンの写真館 撮影地ガイド

【表紙写真】人目千本桜の桜並木を行く583系「ふくしま花見山」 2009年4月11日撮影

カテゴリ: 国鉄時代 (電車)

1982年7月の伯備線・山陰本線電化により、キハ181系を置き換えて登場した381系「やくも」。登場から40年以上が経過し、ついに2024年4月、後継の273系に置き換えられます。381系「やくも」のデビュー間もないころ、米子駅で撮った「やくも」です。ピッカピカの新車でした。198 ...

国鉄末期から各地でジョイフルトレインと呼ばれる改造車が誕生していきました。キハ65を種車にして改造・誕生したのが2両編成の「ゆぅトピア」で、大阪~金沢間は、485系の雷鳥に付随車扱いで併結され、金沢から単独編成となって気動車自走で七尾線に乗り入れて、大阪~和倉 ...

現在1編成が国鉄特急色に復元され、伯備線を走っている381系。今回はその国鉄時代のものを紹介しましょう。伯耆大山駅から分岐して田園地帯を行くあたりで、大山をバックにして381系「やくも」を撮りました。1987年4月 伯備線 伯耆大山~岸本 ...

国鉄時代(電車)に入れますが、主題は昔の京都駅の光景です。現在は巨大な駅ビルの下に潜り込むような位置にある山陰本線(嵯峨野線)の31~33番線。30番線は「はるか」と一部の山陰本線の特急列車が発車します。写真は1970年5月撮影の京都駅2番線に入線する113系の普通電車 ...

JR西の新快速は京阪神の看板列車に成長し、東(北)は敦賀、西(南)は播州赤穂まで、その走行エリアを広げましたが、1970年登場当初の新快速は京都~西明石間でした。その後、滋賀県方面にも延長されていきますが、半数近くは京都終着でした。写真は1974年3月撮影の、京都終 ...

大阪万博があった1970年当時、小学生だった私は親の一眼レフを借りて写真を撮り始めた頃でした。京都駅では万博があったこともあり、ひっきりなしに特急・急行が発着していました。1970年8月当時の時刻表は 京都駅 東海道本線 上り 1970年8月 に掲載しているので興味が ...

新潟地区の115系も先が見えているようで、撮りに行きたいとは思っていますが果たして行けるかどうか・・・115系にも旧新潟色が再現されているそうですが、今日は撮りに行けないので古い写真を引っ張り出しました。これを撮ったのは1977年2月で、すでにコダクロームを使ってい ...

1976年(昭和51年)9月4日 京都~大阪間鉄道開業100年を記念して、梅小路のC57 1が12系客車を牽引する「京阪100年記念号」が京都~大阪間で走ることになっていました。この日は土曜日(当時は午後休)だったため、往路の京都→大阪は無事走行しましたが、復路となる午後は大 ...

久しぶりに 国鉄時代です。今年の冬は、最初は暖冬傾向かなと思っていたら、年末から寒波に見舞われ、大雪の冬となっています。今回は、2月の晴れた日に伊吹山をバックに、485系時代の「しらさぎ」を撮ったものです。撮影は国鉄最末期の1987年2月で、編成は短縮されています ...

北海道専用の交流特急型電車としてデビューした781系は、特急「ラィラック」として旭川~札幌~室蘭で運転されていましたが、国鉄末期、速達性を持たせた列車と2分化するに際して、4連に組み替えられ、「ホワイトアロー」としても走り始めました。ホワイトアローは苫小牧ま ...

583系が昼夜問わずフル稼働していた頃、名古屋~富山間の特急「しらさぎ」にも、夜行の特急「金星」の間合い運用で583系による特急「しらさぎ」が一往復設定されていました。583系による「しらさぎ」は1978年10月の、いわゆるゴーサントオ改正までで、その時からヘッドマーク ...

185系そのものが、国鉄最末期に登場した車両なので、国鉄時代に撮った写真がほとんどないのが現状ですので、今日も「国鉄時代」にJRになってからの写真でごまかします。ブログ開設7周年 ~寝台特急「さくら」~ を撮った日と同じ日に撮った 185系「踊り子」の修善寺編成 ...

まもなく引退を迎える185系。特急型とは言いながら、汎用性を重視して普通列車にも使えるようにした、財政破綻状態にあった国鉄の苦肉の策の車両でした。117系をちょっとだけグレードアップしただけの185系は、窓も開くし、静粛性もないし、「これが特急??」と思ったもので ...

「はくたか」といえば、今や北陸新幹線を代表する列車ですが、「はくたか」という愛称が付けられたのは、「白鳥」の分割編成の後を継いで、上野~金沢を長野経由を単独で結んだキハ80系による列車が始まりです。その後、電車化されるに際し、当時は碓氷峠をEF63と協調して通 ...

前回が80系でしたので、今回はその後継の113系です。1962年に111系が先行してデビュー、その後すぐに出力アップした113系が生まれたため、その後は113系として増備が続けられ、東海道の顔として、また直流平坦区間のスタンダードとして活躍していました。グリーン車を連結し ...

長距離電車の先駆となった80系電車。後に湘南色と呼ばれる、当時としては斬新な塗色を纏って登場しました。その後登場した113系に譲って、次第に東海道本線からは撤退していきました。写真は東海道本線で活躍していた最晩年 1976年の撮影です。1976年3月 三島 ...

東の185系「踊り子」、四国のキハ185系「うずしお」、「剣山」、「むろと」とともに国鉄型車両による最後の定期特急となっている西の381系「やくも」。1982年の登場以来36年にわたって走り続けており、40年を目途に置き換えが発表されているところです。残雪の大山をバックに ...

日本の交流電化発祥の路線 仙山線。仙台と山形(路線は羽前千歳)を結ぶ、60kmほどの路線ですが、国鉄時代には、この短距離区間に急行「仙山」が設定されていました。松尾芭蕉ゆかりの、山寺(立石寺)をバックに455(457)系です。残念ながら急行「仙山」は1982年に快速 ...

現在は大和路快速が行きかう都市近郊路線の関西本線ですが、近代化されたのは意外に遅く、電化されたのは1973年10月のことでした。それまではキハ35系が走っていましたが、電化後は113系の快速が走るようになりました。休日限定ではありましたが、大阪環状線に乗り入れて大阪 ...

軽井沢と言えば日本を代表する避暑地。現在では首都圏から新幹線や高速道路で簡単に行けてしまいますが、国鉄時代から北陸(長野)新幹線開業前までは、避暑地軽井沢への夏の臨時列車として「そよかぜ」が運転されていました。夏だけの臨時列車だと思っていましたが、写真を ...

「鳥海」は、東京と秋田(青森)を結ぶ列車でしたが、急行時代、特急時代を通じて昼行列車になったり夜行列車になったり、また奥羽本線経由だったり、羽越本線経由だったりと落ち着かない列車でした。485系の昼行特急として上野~秋田を羽越本線経由で走っていた頃の「鳥海」 ...

長らく非電化のままだった山陰地方にも、先陣を切って1982年に伯備線の電化区間の延長という形で、伯耆大山~知井宮(現 西出雲)間が電化されました。その際には「やくも」用に381系、普通列車用に115系が新車で投入されました。それまで旧客やキハ17、キハ20だったことを ...

今の若い方々は「京阪神緩行線」という言葉は聞きなれないのではないかと思います。関西ではもともと並行する私鉄との競争が激しく、戦前から急行電車(急電)が走っていましたが、その急電に対して各駅停車のことを緩行電車と呼んでいました。使われた車両で一番長く活躍し ...

先日の連休は、東海道本線で185系「踊り子」と小田急LSEを撮ってきました。すでに新作を出したところですが、その流れで今日は国鉄時代の185系「踊り子」です。それまでの国鉄車両は急行型、特急型と標準化され、基本的には全国統一様式でしたが、関東に配置された185系、 ...

国鉄時代、大阪~新潟の昼行特急は「北越」を名乗っていました。その後「雷鳥」に統合され、「北越」は金沢~新潟のローカル特急の愛称となりました。大阪に乗り入れていた頃の「北越」。ヘッドマークはまだ文字マークの時代です。1978年8月  山崎 ...

153系を使用していた 「ブルーライナー」 の後継として誕生した117系には 「シティーライナー」 の愛称が与えられていました。そして民営化後に誕生した221系にも 「アメニティーライナー」の愛称が与えられましたが、これは浸透せず、現在に223系、225系には愛称があり ...

桜の写真、今日は国鉄時代の奈良線からです。JR化後、徐々に複線化が進められ、「みやこ路快速」も運転されるようになって、一応都市圏の鉄道の体裁を整えてきた奈良線ですが、国鉄時代は遅くまで単線非電化のローカル線で、キハ17やキハ20、キハ35などが混結編成で走って ...

国鉄の全盛期、昭和30年代から40年代にかけては在来線の全盛期と言い換えることもできるでしょう。電化幹線の優等列車は、特急には食堂車が当たり前、急行列車にもビュフェが連結されていました。今ではコンビニが充実していることもあり、車内販売すらしていない列車も増え ...

このところ、大阪環状線の103系の記事が続いていますので、古いものを一枚。先日の記事で、新型の323系の登場で、大阪環状線から103系が引退ということを書きましたが、その103系が新型電車として登場した頃の写真です。東海道・山陽本線の普通電車としては1969年に投入され ...

JRになってからは、国鉄から引き継いだ車両も、各社で色々な塗装に変更されていきましたが、国鉄時代にも一部では、管理局単位での地方色も存在しました。旧型国電の70系もその一つでした。雪国であるため、冬季、雪の中での視認性をよくするためというのがその理由のよう ...

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