函館本線の長万部~小樽間は、北海道新幹線の開業時に廃止されることが決まっています。人口減少、道路の整備などにより、大量輸送交通機関としての鉄道の役割は終わっていると言ってもいいかもしれません。今回の写真は、国鉄民営化を1年後に控えた1986年3月の撮影です。塩 ...
カテゴリ: 国鉄時代 (機関車他)
碓氷峠を行くEF63重連+189系「あさま」
碓氷峠を越えていたEF63は希少な機関車であったにもかかわらず、ほとんど写真に残せていません。若いころは車両そのものよりも、「風景の中を行く鉄道」が撮影テーマだったので、致し方ないことかもしれませんが今となっては悔やまれます。数少ないEF63の写真の中から一枚。 ...
EF58が牽引していた寝台特急「いなば」「紀伊」
国鉄の合理化の名のもとに他の列車のヘッドマークが装着されなくなるなか、東海道本線 東京発着のブルートレインだけは、ヘッドマークを守り続けていました。やはり「格」の違いによるものでしょう。そんな格式高い東京発着の寝台特急の中にあって、唯一EF58が牽引し、ヘッ ...
DD51+12系 臨時急行「丹後」
国鉄時代、臨時列車は客レで運転されることも多くありました。12系客車は、もともと波動輸送用として、1970年の大阪万博に間に合うように製造された車両です。国鉄晩年の1985年にも、臨時急行「丹後」がDD51+12系で運転されていました。珍しくなってきていた、客レの臨時昼行 ...
雪の中を行くDD51重連 急行「ニセコ」
昨年11月以来の 国鉄時代(機関車)です。季節とは全く逆の冬の写真・・・といっても3月初旬撮影なので季節は春ですが、北海道では間違いなく、まだ冬の気候です。北海道新幹線の札幌延伸時には廃線が決定した、函館本線の山線区間、かつてはC62重連「ニセコ」、平成に入っ ...
宗谷本線 塩狩峠のC55 (2)
もう8年も前に、宗谷本線 塩狩峠のC55 として望遠正面構図を出していますが、何と言ってもC55の特徴は美しいスポーク動輪です。2日間に渡って同じ場所で撮ったので、次の日にはサイドに回って広角でスポーク動輪が写る構図にしましたが、所詮は中学生の写真で中途半端感は ...
四国の客車列車 DE10牽引の50系
国鉄時代 、大都市圏の電化区間の通勤輸送以外は基本的に客車列車が大多数でした。1970年代に入ると、普通列車も動力分散型の電車・気動車にシフトしていきます。そんな中で1977年に一般形客車の50系が誕生しましたが、JRに引き継がれてからは急速に淘汰が進み、車齢10年ほ ...
倉吉線のC11
山陰本線の倉吉駅から分岐し、山守駅までの20kmを結んでいた倉吉線は、1985年に廃止されました。現在の倉吉駅は、元々は上井(あげい)駅と言い、元々の倉吉駅は、倉吉の中心部にあった倉吉線内の駅でした。中学2年の冬に、友達と山陰に撮影旅行に行った時のものです。今か ...
紀勢本線のEF15貨物列車
紀勢本線 新宮までの電化が完成した1978年10月、その目玉はそれまでキハ80系(一往復はキハ81)で運転されていた特急くろしおの、新製の381系振り子電車への置き換えでした。その一方では、普通列車の電車化は和歌山近辺が優先され、紀伊田辺から南では旧客の普通列車が残り ...
留萌本線 ゼブラ塗装のキューロク客車列車
留萌本線はすでに留萌~増毛間が廃線となり、JRで本線を名乗る路線中、一番短い路線となっています。本線とは名ばかりで、存続さえ危ぶまれる赤字ローカル線です。国鉄時代は貨物列車も何本か運行されていて、客車列車の編成も「本線」を名乗るに恥じない連結両数でした。中 ...
ユーロライナー 高山本線を行く
先日 国鉄時代(気動車)に Alpha Continental Express ~ジョイフルトレインの先駆~ を出したところですので、今日は、客車として ユーロライナーを出すことにしました。国鉄末期から既存の車両を改造して「ジョイフルトレイン」を作ることが、管理局単位で行われまし ...
DF50が牽く寝台特急「紀伊」
気が付けば、国鉄時代(機関車)には、1月にD60を出して以来ほぼ半年間放置状態でした。約半年ぶりの写真は、レアものと言えば結構レアなDF50が牽く寝台特急「紀伊」にします。この写真はこれを狙って撮りに行ったわけではなく、1978年10月の紀勢本線電化に際し、キハ81によ ...
バークシャー D60のサイドビュー
D50の軸重を軽減し、丙線でも走れるように2D2のバークシャーの軸配置に改造して誕生したのがD60でした。老朽化した9600と急勾配線区では牽引力が不足するC58の置き換えを目的に全国各地の比較的輸送量の多い丙線に投入されました。しかしながら、投入された線区では強力なD60 ...
五能線の混合列車
国鉄時代、ローカル線には混合列車が走っていました。高校生卒業の春(2月)、撮影と乗ったことのない路線の乗車を目的に東北地方を旅しました。乗車が目的だったものの一つが五能線全線に乗ることと、混合列車に乗ることでした。写真はその時、鯵ヶ沢駅で停車中に撮ったもの ...
盛夏の矢立峠 赤・青・緑
奥羽本線 秋田・青森の県境の矢立峠は国鉄時代からの名撮影地でした。盛夏の山の深緑を背景に真紅のED75が引き立ちます。後に続くは今や絶滅に等しいブルーの客車。国鉄時代には当たり前に見られた列車でした。写真は1985年8月14日の撮影で、おそらくお盆の臨時列車だろうと ...
高森線のC12
関西では記録上最も遅い梅雨入りとなったいうニュースが出たかと思えば、もう台風が来るなんていうニュースがあったりと、今まで聞いたことがないような天気になっています。今週末も雨予報で、6月はまだ一枚も写真を撮っていません。これでは来年の6月に出す写真がなくなっ ...
国鉄新性能貨物機 EF60
国鉄のF級新性能電機としてEF60がデビューしたのが1960年です。それまで主力貨物機であったEH10に代わる機関車として、山陽本線の電化延伸に対応する形で増備されました。一部は500番台を名乗る20系ブルトレ牽引機も存在しましたが、もともと貨物機で設計されているため ...
東北本線 ED71
またまた更新していませんでした。半年ぶりの機関車の更新です。東北本線 黒磯以北の電化に際し開発されたのが ED71でした。その後交流電機の決定版ともいうべきED75が開発されるまでの繋ぎ役的な存在のED71です。晩年はローカル貨物の運用に就いていました。1978年2 ...
板谷峠を越えるEF71重連
国鉄時代(機関車)も気がつけば4か月も更新していませんでした。酷暑の毎日が続いていますので、冬の寒い写真でも・・・33‰の急勾配が連続しスイッチバック駅も連続した板谷峠は、重連運用が日常でした。現在は山形新幹線のルートとなり、標準軌に改軌され、スイッチバック ...
富士山と「さくら」
富士山と桜はいわば日本の象徴です。列車の「さくら」も、編成の豪華さでは「あさかぜ」でしたが、九州ブルトレ全盛期頃には列車番号1が与えられていました。三島~函南間は、朝、続々と上京してくるブルトレを富士山をバックに撮れる場所として賑わっていました。このころ ...
上越スキー臨
高速道路網の充実でスキー客輸送はもっぱらバスになってしまいましたが、国鉄時代からJR発足後しばらくは、鉄道も健闘していました。特にJRになってからの「シュプール号」シリーズは多彩な車種が走り、普段長編成が入線しないローカル線にも入線しファン目線でも注目されて ...
デフなしのハチロク 筑豊本線 若松にて
今日はかなり古い写真です。私自身初めての遠征撮影旅行で九州に行きました。当時はまだまだ筑豊本線には無数の蒸機列車が走っていて、次から次からやってきました。終点の若松に行ってみると、デフのないハチロクが客車を連結して待機していました。デフがないとボイラが細 ...
EF58が牽く20系急行「銀河」
東京~大阪を結んだ伝統の夜行急行「銀河」も、14系や24系寝台車の増備により余剰となった20系が急行用に格下げされ、10系寝台車を置き換えました。1976年のことです。牽引機は宮原のEF58です。その後1982年頃にはEF65にバトンタッチしていたと思います。1976年3月 東海道 ...
大歩危を行くDE10重連貨物
国鉄時代はローカル線の隅々まで貨物列車が走っていました。盲腸線になると、混合列車で客車1両に2軸貨車2両程度のことも。国鉄時代、土讃本線(現在は土讃線)にも、貨物列車が走っていました。古くはC58やDF50が牽いたのでしょうが、そんな写真は撮れていません。国鉄末期 ...
日付に因んで C61
6月になりました。前にも書きましたが、6月は写真在庫の最も少ない月で、これから1か月どうやって持たそうかと考えているところです。いきなりですが、6月1日ということで、無理やりのこじつけでC61でも出しましょう。現在JR東日本で復活を遂げたC61の2号機の、国鉄現役時 ...
20系最晩年の姿
久しぶりに 国鉄時代(機関車)を更新しようと思い、どれにしようかあれこれ考えてたら、20系の走行写真が出てきました。ただし国鉄時代の写真ではありませんが悪しからず。目覚めれば利尻富士が 急行「利尻」 では、JR発足 1か月後の撮影でしたが、今回は、4か月後 ...
東海道を走るDD51貨物列車
つい先日も 国鉄時代(機関車)に一枚出したところですが、関西本線のDD51重連に突然目覚めたことから、その流れで過去画像を見返したみたら、こんな写真が出てきました。この写真は1977年の夏に山科駅で撮ったものですが、当時、本線の貨物列車はEH10、EF60、EF65が牽いて ...
釧路湿原のDE10貨物
厳冬の時期が過ぎてしまい、若干季節外れ感がありますが、今日は冬の釧路湿原を行く釧網本線の貨物列車です。国鉄時代は、ローカル線にも当たり前のように貨物列車が走っていました。蒸気機関車が現役だった頃は、SLダイヤ情報などに蒸機の牽引する貨物列車の時刻が載って ...
津軽海峡冬景色 青函連絡船1986
2016年もあとわずか。今年最後の更新になります。皆さんよいお年をお迎えください。今回は初めて鉄道車両以外の国鉄時代ということで、入れる書庫がなかったため、急きょ「機関車他」に書庫名を変えてここに入れることにしました。(連絡船には貨車が積まれていたというこじ ...
急行「きたぐに」 1978年2月
急行「きたぐに」と言えば、最近では最後の583系定期運行列車というイメージが強いですが、国鉄時代、当時高校生だった私の印象は 大阪~青森を19時間半かけて走る、当時の最長距離急行列車でした。そしてまた、自由席を連結していたので、当時の均一周遊券(後のワイド周遊 ...